34歳バイリンガル保育士の想いブログ〜育休中にできること〜

ハッピーライフ、ハッピーフューチャー!

わたしがインターナショナルスクールで働いていた時2

こんばんは!ブログにご興味持っていただきありがとうございます。

今日は昨日お話ししていたアメリカ人の黒人の先生についてお話ししていきます。

 

 

わたしが働いていた時は設立して3年目のインターで、

運営方針の基盤があまりしっかりしていないと感じていました。

今では10年くらい経過していますので、ずいぶん落ち着いてきているかと思います。

 

 

 

自分たちで作り上げていくことが好きな

保育士の方はオープニング園が向いていると思いますが、

わたしは基本的に時間内でのコストパフォーマンスを

残すべきだと考えるため、

残業をして終わりのない仕事をするよりも、

テキパキして過ごしたいと思っています。

 

とは言っても当時わたしはインターで働き始めて1年目、

気持ち的には何でも屋になっていました。

幼稚園バスの運転手さんとのスケジュール調整、

運転士さんとインド人のつなげる役割。

サマークラスをやりたいといえば、講師となる先生との調整

空手サッカー生花ダンスなどの多岐に渡り調べて

3つ分くらい比べられるように出すと

そこからは流石のインド人、

駆け引きをしながら安いところにいつも決めていきます。

遠足はというと、目的地、行き方バスなのか電車なのか、

みたいな選択肢を出していき提案していくというオフィスの仕事を

子どもが帰ってからの午後の時間でしていました。

 

という中でのわたしの保育といえば、ネイティブの先生に

やはり言われるがままの毎日。

そのアメリカ人の先生は喜怒哀楽が激しく、

遊ぶときは怪我なんて気にせず遊びまくり、

怒る時は唾が吹き飛ぶほどの距離で怒鳴りつける。

胸ぐらを掴んだり、蹴り飛ばすように仕草をしたりで鞭を使ったり、

その分アメを与えるのも多かったです。

YouTubeを見せたり、リアルなお菓子とかもあげていました。

 

かと言って自分が仕事しているときは

パソコンの前に座り、目も合わせず、淡々と仕事をしている。

自分のクラスがなくなったら、外出してしまうことも多く

自分の用事を済ませているようでした。

川崎に引っ越して日が浅かったり、車を購入したりで

いろんな日本人の講師の先生の手を借りて

プライベートも仕事も差がなく、相当侵食していました。

 

そしてなぜそれが許されていたかというと、

その先生とわたしと子どもだけの空間だったからです。

わたしも緩やかにその人の人となりが出てきたので

どこからがやばいという認識がなく、

必死に食らいついていきましたが、気づいた時にはもう後戻りできず、

わたしまで怖くなってしまっていました。

校長に報告していき、解雇できるようになったのは

1年ほど経ってから。

今思うとわたしも叩かれてないのが奇跡だと思えるほどでした。

っていうちょっとトラウマなインターの特殊な経験です。

これはネイティブなりの日本人の感覚にはないゆるい部分の悪い例として

お話ししてみました。

インド人の経営のやり方も、アメリカ人の激しく教育していくようなやり方も

わたしにはあってなかったようでした。

もちろんそういうことがあっていたかもしれないと思う方はいるかもしれませんし、

保育に正解はないと言いますが、

基本的な日本人の感覚でいられる自分は忘れないでいたいと思っています。

 

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これは観葉植物のモンステラのモンちゃんととぶら下がってるサボテンちゃんです。

日々大きくなっていて癒しです。