わたしがインターナショナルスクールで働いていた時
こんにちは!ブログに興味を持っていただきありがとうございます。
今日はわたしが保育士2、3年目で働いていた
インターナショナルスクールについてお話しさせていただきます。
わたしは1年目は認可の保育所、
2、3年目はネイティブのアメリカ人の保育補助をしていました。
そこは日々壮絶な毎日で、3年目の夏は若干逃げるかのように
ニュージーランドのワーホリに行っていた気がします。
インターナショナルスクールは認可を取るために
厳しめの審査がありますので、認可外のところが多いです。
まあ、認可外でも立ち入り調査、巡回は入るので
区役所の許可は必要で、一定のレベルに達しなければ開園できません。
認可のインターナショナルスクールは数えるほどしかないのではないでしょうか。
2年目の初めは15名ほどの年中クラス(全員インド人)でした。
英語も拙かったわたしは相当そこで鍛えられました。
みなさんインド人とお話ししたことありますか?
すごいんですよ、語彙力が。訛ってる割にめちゃめちゃ早く喋ってくるので
なかなか聞き取れなかったです。
先生たちもインド系だったので、もう慣れましたが。
初めはおばあちゃん先生と一緒にクラスをしていたのですが、
案の定、わたしと先生の意思疎通うやむや。
言葉がほとんどでない子、ちらほらいてほんとに動物園でした。
3ヶ月が経った頃でしたでしょうか?
そのADHD?自閉症?と思われる子を止めようとおばあちゃん先生が奮闘。
すると腕や腰を次々と痛め、いつの間にかインドへ帰ってしまいました。
ここでインド人あるある。①
東京と沖縄の距離感かのようにすぐにインドへ帰る。笑
クラスの子どもたちも”1ヶ月インドへ帰るわ”
みたいな感覚でそれを伝えてくるのも割と直前。
それ以降校長と約半年そのクラスを運営していきました。
それまで何人かのトライアルの先生を見送って
なかなか担任が決まらず。
インド人あるある②
トライアルなのにその先生にクラスをいきなり任せて1日何もない風に過ごす
何だかビジネスの香りがプンプン。
これはわたしの学校だっただからかもしれません。
なんか節約するところとお金を投資するところの感覚が
いまいち合わない。。。
結局何人かトライアルできた後に決まった黒人のアメリカの先生。
これがまた曲者で。。。
この先生の話は長くなりそうなのでまた次回にしたいと思います。
最近暑いですよね、
今日も保育園は子どもが嘔吐、噛みつき、病院通院などドタバタ。
先生たちも疲れ切ってます。
明日は全員出勤日なので、冷凍したチョコパイ持って
差し入れしようと思います。
ただ何となくチョコパイがたくさんあるとちょっとフォトジェニックになるかと思って
写真撮ってみました。